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category: 情報
DATE : 2007/10/18 (Thu)
DATE : 2007/10/18 (Thu)
18日夕、信じられない知らせがとびこんできた。木原光知子は、東京オリンピックの背泳・自由形で背泳ぎ銅メダルの田中聡子とともに花だった。すらりと伸びた心身からは、まぶしいような輝きがあった。東京オリンピックでの、活躍はできず残念ではあったが、その人気は衰えることなく、輝き続けた。ファンも多かったはずだ。
木原光知子は、水泳の選手としての活動期間は短かったが、その後のタレントとしての活躍も、堂々とした立ち居振る舞いも、往年を思い起こさせるものを持ち続けていた。
東京オリンピックから、43年?経過して、多くの東京五輪のアスリートがなくなっていった。東京オリンピックを、記憶している人も少なくなっている。そんな中だから、田中光知子には、生きてそのオーラを放ち続けて欲しかった。クモ膜下出血ということだ。この病名を聞くたびに、いつもドキッとさせられる。突然の死を告げる病名だ。
早い発見なら、助かることもあるはずだが、どうだったのだろうか。
木原光知子は、岡山の山陽女子高校時代に、彗星のようにあらわれて、オリンピックが、あと一年遅かったらメダル争いも出来たのではと思わせる急成長をとげていた。東京五輪で背泳銅メダルの田中聡子と木原光知子は姉妹のようにして活躍した姿が、今もハッキリ思い浮かんでくる。テレビの前で応援したことを思い出す。
残念で仕方ないが、ご冥福を祈るしかないのだろう。
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